東日本大震災被災

     2011年3月11日14時46分今まで経験したことのない地震が襲ってきました。

   参考になればと思い経験談を掲載させていただきます。

           (被災場所)岩手県一関市 (震度)6弱 (私の年齢)56才(単身赴任中) 

震災直後の生活

停電・余震・寒さ・緊急地震速報で眠れず

3日間車中泊

 ・余震 100階以上

 ・携帯電話の緊急地震速報鳴りっぱなし

 ・停電で暖房器具使えず…寒い・怖い

 ・車内では暖が取れ、テレビで情報が

  取れて安心でした。

                

  


 所のスーパーは長蛇の列!

  ・食料求め1時間待ち

   待っても買えないことも有り

  ・駐車場が店舗に早変わり

   1人何でも10個まで制限あり

 ・レジは全て手で計算アナログ

 ・道路は寸断され入荷が無く、

  在庫をかき集めて売ってました

 ・隣の市町村にも情報を聞いて、食料調

  達に奮闘しました。

  ※会社では社員の農家の方がおにぎり

   差し入れしてもらい感謝感謝でした                     

 

 

電気の無い生活に悪戦苦闘

 ・電灯がつかない(真っ暗部屋)

  ➡ 心細い、孤独感が襲う

 ・暖房機が使えない

  ➡ 石油ファンヒーター使えない

   東北の寒さがこたえる!

 ・マンションの給水ポンプが使えず

  断水しトイレ・風呂入れない

  ➡ 近くの温泉へ車で向かう!

   無料の所も有り、ありがたや!

 ・エレベータ―が使えず、5回まで

  階段で真っ暗な中、トボトボ往復。

  足腰にこたえる!いやになり車へ!

  ➡ 懐中電灯が役立つ!    


ガソリン不足、スタンドは長蛇の列!

 ・1回10リットルの購入制限

 ・ガソリン求め長蛇の列で国道埋める

  また前夜から車乗り捨てて並ぶ

 ・緊急車優先で、一般車には回らない   

  ※1~2時間待ちはざらだった

   必ず買えるとは限らない

  ※※電車、バスは便が少なく車通勤

    が大半で「足」を求めて大変

 

 

スーパーに食物がなく、買い物できず

 ・パン、カップ麺、缶詰売り切れ

 ・買いだめたカップ麺連日食べる

 ・お酒は運転を考慮し厳禁にした      

   

 


携帯電話はつながらず

 ・基地局破壊

 ・安否確認に苦戦

  ⇒災害伝言ダイヤル「171」活用

 ・公衆電話が繋がり易いが、近所になし 

  ※緊急電話が最優先で、公衆電話は

   無く、社員や家族の安否確認に苦労

  ➡ 時間が経ち(3日後位)、携帯電話も

   つながり、全貌が把握できた。

   社員・家族は全員無事でほっとした



震災時役に立ったもの

転倒防止器具

・食器棚に事前装着していた

 結果お皿が割れなかった

・手前に倒れず怪我無し

※事前準備が功を奏した

車用充電器

・停電時に携帯電話を充電する

 のに非常に役立った

※事前準備が功を奏した

 

反射式ストーブ

震災後に会社から借用したが、

停電時に、暖を取ったり、お湯を沸かす時に役立った

懐中電灯

真っ暗な中でこれが頼りだった。携帯電話も明かり取りに

できたが、充電しないと切れた。電池も不足していた。